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昭和20年6月23日は沖縄戦が終結(玉砕)した日で、慰霊の日となっているそうです。

沖縄の果てにあるたくさんの島々も、当然この戦火を浴びました。
その中で、波照間島の子ども達を戦火から逃すため西表島へ強制的に疎開させるという指示がだされました。
西表島はいわゆるジャングルで、マラリアの感染が予想される土地だったのです。親元から引き離され、多くの子がマラリアにかかり、お母さんに会いたい、お父さんに会いたいと高熱にうなされながら息を引き取っていきました。戦争マラリアというそうです。

      「星になったこどもたち」
  1 南十字星 波照間恋しいと
    星になった みたまたち
    ガタガタふるえる マラリアで
    1人2人と 星になる

    くるしいよ さむいよ お母さん
    帰りたい 帰りたい 波照間へ

  2 南風見(はえみ)の海岸に きざまれている
    忘れな石という ことば
    戦争がなければ こどもたち
    楽しくみんな あそんでいた

    さびしいよ いたいよ お父さん
    帰りたい 帰りたい 波照間へ

  3 みんなでたましいを なぐさめようよ
    みんなでなかよく くらそうよ
    66名知らない世界へ
    逝ってしまったこと わすれない

    しずかに やすらかに ねてください
    平和な 平和な 波照間に
    しずかに やすらかに ねてください
    平和な 平和な 波照間に

          作詞 波照間小学校全児童合作

    大人が始めた戦争の 犠牲になるのは 子ども達です。
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ウガンダの子ども兵からのメッセージより


ぼくは2人の人間を殺した。

AK47と呼ばれる小型武器で。

小型武器とは、

ぼくたち子どもでも扱える小さくて軽い武器のことだ。

でも、この武器は僕らの国では作っていない。

ぼくが使っていた武器は外国から入ってきたものだった。

ぼくらのことを

チャイルドソルジャー(子ども兵)と人は呼ぶ。

小型武器を持って戦う兵士だからだ。

でも、2年前までぼくはふつうの子どもだった。

家族がいて友達がいて幸せに暮らしていた。

ある日、大人の兵士が村にやってきてぼくを連れ去った。

ぼくはその日から兵士になった。

ぼくは人の殺し方を教え込まれ戦場で戦った。

逃げようとした友達は大人の兵士に耳を切り落とされた。

ぼくの目の前で友達が殺されていった。

女の子は大人の兵士に乱暴された。

怖かった。

家に帰りたかった。

お母さんに会いたかった。



運よく、ぼくは大人の兵士がいないときに

軍隊から逃げ出すことができた。

村に帰ってきたが、友達は誰もいなかった。

ぼくはみんなに「 人殺し 」といわれ

学校ではいじめられた。

家族や親戚からも怖がられ

前みたいな幸せは戻ってこなかった。

悲しかった。

寂しかった。

あるのは絶望だけだった・・・。

ぼくは何度も死のうと思った。

そして、何度も何度も自分自身に問いかけてみた。

ぼくは何のために生まれてきたのか?

ぼくはなぜ生きているのか?

ぼくは生きる価値がはあるのか?

ぼくにできることはあるのか?



「もし、ぼくに何かできることがあるなら、ぼくには生きる意味がある 」

ぼくはそう思った。

ぼくに何ができるか?



「ぼくとおなじ悲しみを、子どもたちに体験させたくない」

ぼくはそう思った。

ぼくには紛争の「悲しみ」を伝えることができる。

ぼくには平和の「喜び」を伝えることができる。

ぼくには、ぼくにしかできないことがある。



今、ぼくは先生になってそのことを伝えていこうと思っている。

ぼくの夢は学校の先生になること。

むずかしいかもしれないけど

あきらめずに夢を追っていきたい。



       ぼくは13歳 職業、兵士。の本の

        ウガンダの子ども兵からのメッセージより



何か感じられた方、何か行動に移す人は100人に1人といわれます。



転載でも何でも結構です。その1人になってくれますか?



クリックで救える命がある。     http://www.dff.jp/

セーブ・ザ・チルドレン 

      http://mixi.jp/view_community.pl?id=776938

  ☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:*☆☆*:;;;;;;:*☆


大人社会の身勝手や欲望が 子ども達を追い詰めて行く。
ウガンダという遠い国で 追い詰められた子どもが存在している事実。
それが 吾が子の身に起きないという保証はどこにもありません。
私も 伝えていきましょう。
    未来のあなたへ 平和の風を おくります
『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』という中学生の書いた本があります。
自閉症の人 全てをひとくくりに考えるのはあまりに無謀なことですが、著者である直樹君の場合は 頭の中で考えていることが 人に上手く伝えられない状態で、きちんと話がしたい、心を通わせたいと思えば思うほど 混乱して走り回ったり逃げ出したりしてしまうそうです。

直樹君の"能力"に初めて気がついたのは5年生の担任の先生だったそうです。毎日気付いたことをノートに書いて提出するという宿題に対して、あまりにしっかりした字と内容に 始めはお母様の指導かと疑ったそうですが、日を追うごとに彼の力を認識できたということです。

私は今まで 見た目であきらかな障害を持っている人に対して、その人の障害(出来ない事)のほうにばかり目を奪われ、能力(出来ること、人より優れている事)を無視してきたのではないかと すごく後悔しています。

直樹君が飛び跳ねるのは、混乱した時、飛び跳ねて足が地に着く感触や手を打ち鳴らして手が当たる感触から ここに自分の身体があるとはっきり認識できることで 落ち着けると言うことです。
一生懸命落ち着こうと努力している姿だったのです。
知らなければ気がつかないことの多さに 満ち溢れた世の中です。
知らないという暴力で人を傷つけないよう、いろいろな人の話を聞く耳をもちたいと思います。
しゃぼん玉 とんだ
屋根までとんだ
屋根までとんで
こわれて消えた

小さな頃から親しんだ歌です。
この歌は 二人目の子(娘)を生後わずか10日ほどで失った野口雨情が、その想いを込めて 作った歌だそうです。

しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
うまれてすぐに
こわれて消えた

風 風 吹くな
しゃぼん玉 とばそ

愛しい子どもはいなくなってしまっても 梅の花は 毎年 毎年 約束したように花が咲く。
花は還ってくるのに なぜ 私の子どもは還らないのか。
あの子は 何のためにうまれたのか。

苦しい想いの中 やがて雨情はひとつの答えを見出したと言います。

子どもは 今もむかしも 私の一部。
私と子どもは 因と縁で結ばれている。
私が正しく生きることが 子どもの生まれてきた価値となる。

そうして 生きる力を取り戻したそうです。


子どもを亡くした親の喪失感は いつの時でも変わらないと思います。
70歳の義父が亡くなった時、長男に先立たれた90歳の祖母の「長生きして いいことなんか ひとつも無かった」と泣く姿に、かける言葉は見つかりませんでした。
それでも時は過ぎていきます。
いろいろな事故や事件を耳にするたび、祖母と同じ嘆きの中にいる人を思い浮かべ 切なくなります。
せめて 今 生きている生命達が その使命を全うできますようにと、願わずにはいられません。
2007.06.23 今どきの名前
①理子  ②桃香  ③舞  ④命生輝  ⑤波  ⑥心香

⑦音  ⑧七七七  ⑨月光  ⑩透明  ⑪地球  ⑫心太

最近 命名された赤ちゃんの名前だそうです。
親の想いが伝わるような名前ですね。
子どもが成長した時 その想いがちゃんと 心に届きますようにと祈ります。
(重荷になりませぬように・・・と思うのは老婆心と言います)
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